思考置き場

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こういう考えもあるよってだけです。

デッキの呼称と性質理解

 最近、紙カード界隈ではファローシャッフル(横入れシャッフル)の是非が問題となっているらしい。その話自体は競技として考える人々と競技性を軽視し「マナー」を重要視する人々の価値観の相違ということで、時々何かしらでこういった話題が出てくるから大した興味はない。自分自身は競技絶対視の人間なのでどうカットしようが勝手だと思ってるし宣言せずに行動したら巻き戻し発生するし効果処理忘れて進めたら戻れなくてもいいと思ってるけど。そもそも競技という意味で考えたらよくシャッフルしたほうがマナーは良い。

 というのはどうでもよくて、ファローシャッフルに「オタクシャッフル」という呼称が付いたことが非常に面白かった。オタクという言葉の起源はオタク自身の蔑称なのだが今日それは非オタク世界まで広まり切ったことでその語に非オタク界からオタク界を見た時の拒絶の感情が入り込むことになった。最近では「オタク」=「キモオタ」という意識や使用もあって驚きを隠せない(全然違うものじゃないか?!)。

 こうしたことは語源から語義が変化し異なった認識が広がったことによるものだが、この呼称は本質理解を歪めることになると思っている、という話を今回はする。

(例によって勢いで書いているので尻切れトンボになるかもしれない)

 

 

デッキの名付け方

 デッキを名付けるには、レンジごと、テーマごと、システムごとなどの方法がある。1つ目はアグロ・ミッドレンジ・コントロールの3タイプに大別するやり方であり、そのデッキがどのレンジで戦うのかを提示する。また今回の場合テンポデッキやコンシードデッキもこれらと似た概念として考える。2つ目はカード名や種類に統一された語を組み合わせるやり方で、「人形」「侮蔑」など。一つのテーマとして意図して作られたシナジーがあり、そのシナジーをもとに戦うものである。3つ目はデッキのシステムの中心にあるカード名をデッキ名につけるやり方である(正確に言うとシステムの使い方が間違っているかもしれないが目をつむってほしい)。「ギガキマ」「原初」「アーカス」など。コンボデッキは今回ここに入れることにする。特定のカードを中心に据え、それと相性の良いカード群で戦うものとなる。

 また2,3番目はレンジごとの命名法と適宜足し合わせることが可能である。これによりある一貫性を持ったデッキの中で特にどのレンジで戦うかを提示できる。

(他にもグッドスタッフなどまだ呼称は存在すると思うが本題には関わらないので放置する。)

名付ける意味と構築過程

 名付ける意味は、端的に言えば分かりやすくするためだ。名付けることによってそれがどういうデッキタイプであるかを提示・把握する。(ここで言う「提示」は知らしめるという意味ではなく他と区別するみたいなニュアンス。)個人レベルでは命名は本質に影響しないので不要な行為とも言えるが集団レベルでは実用性の面からも意味があり、デッキの内容に見合った名が付けられるのが普通である。

 無意識で行っている人もいるだろうが命名と構築過程にも関連はある。まずは前述の大別された3つの方法によって命名されたデッキタイプを作ろうとするパターンで、命名→構築の順となる。今期でいえば新カード実装前に「ミッドレンジネクロが生まれるか否か」という話題があったがそれがこの例にあたる。あとはデッキを作ってから命名するパターンで、逆の順となる。これはおそらく様々なケースが存在するだろうが、特定のカードを活かしたいと思った場合や何かしらのメタとしてデッキを作った場合が考えられる。仮に現在のローテにおけるネクロがヴァンパイアのメタデッキとした過程で生まれたのであればそれがこの例にあたる。

過去の例(翠嵐エルフのデッキタイプは何か)

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 前環境で「翠嵐エルフ」が界隈全体に認知されるようになった後、Twitter上で、翠嵐エルフはアグロか否かという話が持ち上がったのを覚えている。結論から言うと少しでも回せばアグロではないことが分かるはずなので、最初に「アグロ」発言をした者が間違っていたわけだが、ではなぜアグロだと主張したのか。可能性としては2つ、回していない状態でデッキリストのみで判断した、あるいはそのデッキをアグロとして回していたことが考えられる。前者の場合、DBN期とさほどリストが変わらないため同じ呼称を使用したのだろうが、後者の場合致命的なミスを犯していることになる。なぜなら回していながらそれをアグロだと誤解していることは各対面への戦い方を間違えていることを直接意味するからだ。それは勝率を引き下げ、評価を落とし、世間的な評価との乖離を生み出す。

 また、話題に対してあった「名前などさほど問題ではない」という主張も個人的には危ないと思っている。理解へのステップの一つとして命名は重要である。アグロか否かどうでもいいと思っている層の中にはそのデッキの性質を理解している人もいるだろうがもしかしたら結果的にアグロ的に回してしまっている(もちろんアグロ的な動きはできるがここでは毎回そのような動きをしているということを指す)人もいるかもしれない。よって、アグロではないという主張が3種類の主張の中で最も正しく、そう主張する人が最も信用できると言える。

 本当は「翠嵐エルフ」というのも、前述の命名法に当てはめれば翠嵐に依存しているわけでもないので正確な呼称とは言えず、誤解を招くものであって個人的には嫌いな呼称だった。

(ちなみに自分は前期のエルフをテンポデッキだとして逃げていた。あとDBN期の原初もテンポデッキだとしていた。テンポって言い方便利だね。)

呼称と性質理解

 ということでエルフの例でほとんど言いたいことは話したが、呼称というのはデッキの性質を表す一つの要素であり、間違った呼称は間違った理解を生むことになる。今回RAGE前にレートはやっていなかったのでネクロが強いと知ったのはRAGEの配信で見てからだったが、リストを見た後にまず行ったのは、これがどういうデッキか、ということだ。何をもって勝ち上がったのか、どこに強さがあるのか、どう回すのかを確認する作業だった。それによって自分の中で名前が付けることが可能になる。(ミッドレンジで大丈夫だろうが、環境が違えばギルネリーゼでバフして殴り切るアグロデッキだったかもしれない、そういう可能性の話。)

 なので、呼称に対してもう少し慎重であってもいいと思う。名前のないデッキに名前をつける時もそうだが、同じ構築であっても環境の中で立ち位置が変われば戦い方が変化することが考えられるので、安易に名前を持ち越したりすることも避けたい。常に、これはどういうデッキか、ということを考え、自分の考える呼称に則したプレイをし、プレイに合わせて呼称を変えるスタンスであってほしい。

 

 今回は書くことなくて短くなった。

ではまた。

おまけは本当におまけなので暇な人だけでいいです。

おまけ(シャドバと無関係の話)

 呼称に関連してだが、平成のアイドル乱立時代、以前テレビの歌番組でAKBの歌を左耳から右耳に通過させていた時にふと思ったことがある。「一人称僕の歌詞多くないか?」……一方昭和アイドルは一人称らしいもの、私などを用いているのが一般的だった。そこから一つの仮説を立てた。

「人々が『共感』を強く求めるようになり性差に関係なく歌詞を享受できるよう男女ともに使用されてもおかしくない一人称に変化したのではないか」

そして、さらにそれを発展させて、

「アイドル楽曲における一人称と恋愛描写の変化から見る戦後のジェンダー論の変化」

というような趣旨の論文書けそうだなーとか考えてたが、あいにく自分のゼミは経済系だし使うところはなさそうなのでここに置いておきます。大学生で見た人いたらあげます。

(すでに有名な論文があるようだったらごめんなさい、そこまでは調べてないです)

 ちなみに共感性を広く保つために、はっきりとした恋愛感情を異性に向けて歌う曲が絶滅してるんじゃないかと思っていて、そこらへんも興味がある。最近欅坂の曲聴いたりしてるんだけど、「手を繋いで帰ろうか」「僕たちは付き合っている」あたりは割とストレートに恋愛を歌っていて新鮮な感じがした(それでもどちらも一人称は僕になっている)。過去アイドルのファンだったこともないし他の最近のアイドル曲も知らないのではっきりとしたことは言えないが。

 

呼称の話から脱線しすぎだけど思い出してしまったので許してください。終わります。